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メイフラワー (灯台補給船)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
メイフラワー
USLHT Mayflower
基本情報
建造所 バス鉄工所
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 メイン州バス
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国灯台委員会
(1910年 - 1939年、灯台局)
艦種 灯台補給船 (1897–1898; 1898–1917; 1919–1939)
建造費 USドル $74,872
艦歴
竣工 1896年
就役
退役
  • 1898年4月27日アメリカ海軍へ移管
  • 1917年5月10日アメリカ海軍へ移管
  • 1939年:灯台局の沿岸警備隊への統合による移管
  • 要目
    排水量 630トン (1897)
    長さ 164 ft (50 m)
    30 ft (9.1 m)
    吃水 18 ft 1 in (5.51 m) (1897)
    推進 Almy 石炭燃料水管ボイラー 2基
    325馬力 (242kW) 往復動機関 2基
    シャフト 2本
    最大速力 9.5 kn (10.9 mph; 17.6 km/h)
    巡航速力 8.5 kn (9.8 mph; 15.7 km/h)
    乗員 29名 (1897)
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    スワニー
    USS Swannee
    基本情報
    運用者 Union Navy Jack  アメリカ海軍
    艦種 補助巡洋艦
    艦歴
    就役 1898年4月27日
    退役 1898年12月
    最期 灯台委員会へ返還移管
    要目
    テンプレートを表示
    メイフラワー
    USS Mayflower
    基本情報
    運用者 Union Navy Jack  アメリカ海軍
    艦種 哨戒艦艇
    艦歴
    就役 1917年5月10日
    退役 1919年7月1日
    最期 灯台局へ返還移管
    要目
    排水量 572トン (1919)
    吃水 12 ft 0 in (3.66 m) (1919)
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    メイフラワー
    USCGC Mayflower
    ハイドレインジャ
    USCGC Hydrangea
    (WAGL-236)
    基本情報
    運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国沿岸警備隊
    艦種 灯台補給船
    艦歴
    就役
    退役
  • 1939年12月:海事訓練局へ移管
  • 1945年10月8日:海事局へ移管(廃棄、売却)
  • 改名 1943年:ハイドレインジャへ改名
    要目
    排水量 821トン (1945)
    吃水 9 ft 0 in (2.74 m) (1945)
    航続距離 1,000海里/1,610km (1945)
    乗員 45名 (1945)
    テンプレートを表示

    アメリカ海軍の艦船としてスワニー (USS Suwannee) と命名された2艦目で、メイフラワー (USS Mayflower) と命名された3艦目の艦船は、もともとアメリカ合衆国灯台委員会英語版、後のアメリカ合衆国灯台局英語版灯台補給船であったが、米西戦争中の1898年には補助巡洋艦(仮装巡洋艦)として、第一次世界大戦中の1917年から1919年には哨戒艦艇として、アメリカ合衆国海軍に貸与された。灯台委員会/灯台局管轄下のメイフラワー (USLHT Mayflower) としては、1897年から1898年にかけて、中断を挟んで1898年から1917年にかけて、また1919年から1939年まで就役し、その後はアメリカ沿岸警備隊管轄下のメイフラワー (USCGC Mayflower (WAGL-236)) として1939年と、中断を挟んで1940年から1943年にも就役し、その後はハイドレインジャ (USCGC Hydrangea (WAGL-236))として1943年から1945年まで就役していた。

    建造と就役

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    この艦は、アメリカ合衆国灯台委員会の発注により、1897年メイン州バスバス鉄工所が建造した。灯台委員会は1897年11月にメイフラワー (USLHT Mayflower) としてこの艦を就役させた[1]

    米西戦争

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    米西戦争1898年4月に勃発すると、メイフラワーは4月27日にアメリカ合衆国海軍に移管され、補助巡洋艦として用いられることになった。既に同名の哨戒ヨットメイフラワーが民間から取得されて就役していたため、混同を避けるために艦名はスワニー (USS Suwannee) と改められた。戦時中のスワニーは、短期間ながら、フロリダ州キーウェストの海軍基地司令官であったジョージ・C・レメイ英語版旗艦としても使われた。アメリカ合衆国海軍省は、この艦が戦時に「顕著な貢献 (conspicuous service)」をしたとして言及している。米西戦争は1898年8月に終わり、この艦も、12月には元の灯台補給船としての業務に戻った[2][1][3]

    1899年 – 1917年

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    合衆国灯台委員会は船名をメイフラワー (USLHT Mayflower) に戻し、マサチューセッツ州ボストンに拠点を置く第2灯台区 (the 2nd Lighthouse District) における航行を支援する灯台への補給の任務に宛てた。1910年には、改組により、灯台委員会に代えて灯台局が設置された[3]

    第一次世界大戦

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    1917年4月に、アメリカ合衆国世界大戦に参戦すると、メイフラワーは再び海軍に移管され、1917年5月10日哨戒艦として就役した。アメリカ合衆国東海岸の沖合の大西洋の哨戒にあたった。1918年11月に戦争が終結すると、メイフラワーは、1919年7月1日大統領令によって灯台局の所轄に戻された[1]

    1919年 – 1939年

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    灯台局の所轄に戻ったメイフラワーは、再び第2灯台区の業務に就いた。その後、1924年に第5灯台区に転属となった[3]1939年7月1日、灯台局はアメリカ沿岸警備隊に統合され、同年12月にメイフラワーは退役となり、マサチューセッツ州ボストンの海事訓練局 (Maritime Training Service) へ移管された[3][1]

    第二次世界大戦

    [編集]

    ヨーロッパ第二次世界大戦が勃発すると、補給艦の調達が急務となり、沿岸警備隊はいったん退役させていたメイフラワーを1940年に現役復帰させ、メイフラワー (USCGC Mayflower (WAGL-236)) としてノーフォークを母港として運用した。戦時下の沿岸警備隊は海軍の指揮下で動いていたが、同様に海軍に復帰して照会艦艇として使用されていたメイフラワーとの艦名の重複を避ける必要が再び生じ、1943年8月15日ハイドレインジャ (USCGC Hydrangea (WAGL-236))と改称された[1][3]

    最後

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    ハイドレインジャは1945年10月8日に退役となり、廃棄処分のためアメリカ合衆国海事局英語版に移管された。その後、払い下げられた[1][3]

    脚注

    [編集]

    外部リンク

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